2018年02月05日

J.S.ミル『大学教育について』 要約(3) 教養人とは何か

要約(3) 教養人とは何か

 大学教育が目指すべきは、真理の集約としての「一般教養」の獲得により「知識の体系化」を完成させ、専門への分岐の前提を構築することである。

 個人は、大学教育を通して諸分野にまたがる真理を理解し、後の専門的学問によって高度な専門性を獲得する。この過程において、教育が理想とする教養人は完成される。

 すなわち教養人とは、あらゆる学問分野において何らかの真理を理解し、かつ特定の専門においてはその学問に属する全てを理解している人物であると定義できる。

 この過程のうち、前段に相当するのが大学教育であり、かつ職業人と教養人を分かつ点でもある。故に、大学教育は職業という最終目的とは直接的に関与しない。

 しかし、大学教育に何らかの「報酬」を見いだすならば、「諸君が人生に対してますます深く、ますます多種多様な興味を感ずるようになる」ことであろう。
 学問、教育は、「知識の体系化」の連続的な構造によって、あらゆる真理の位置づけを可能にするのである。

(ヨハネ研究の森 第13期生 日高)

 
posted by ヨハネ研究の森 at 15:20 | 教育学

J.S.ミル『大学教育について』 要約(2) 諸学問分野の本質

要約(2) 諸学問分野の本質

 大学では、知識の体系化としての「一般教養」として、様々な学問分野が学ばれる。
 それらは、その目的の本質から二つに大別される。「知識と知的能力」の会得を目的としたものと、「良心と道徳的能力」の向上を目的としたものの二種である。
 この二種の学問を極めることによってのみ、教養人は完成し得る。

 前者に属する学問としては、文学教育や科学教育、道徳社会教育(現在の社会科学教育)が挙げられるが、これらの学問はそれぞれの真理を知ることによって、体系化された知識を構築していく役割を果たす。

 大学教育における学問の目的たる「知識の体系化」とは、これらの学問における真理を「一般教養」として理解することを前提とする。

 例を挙げるならば、文学教育は学問の表現手法としての言語を豊富、明快にするとともに、先人が思考の前提として用いた観念、先入観を理解することにつながるであろう。

 他にも、科学教育は、知的作業に必須の論理的思考を育成する。科学を学ぶことは、観察と推論、帰納と演繹の過程によって構築される論理的思考の手助けとなり得る。

 また、後者の属する学問としては、道徳教育、宗教教育など、人間の内面としての意志に関係する分野が当てはまる。

 これらの学問分野は、前者の「知識と知的能力」で獲得したものを如何に個人が活用するのかという内面的な意志、良心に対して影響を与える。

 だが、「良心と道徳的能力」の醸成は学問の実行の段階において必要とされるものの、個人の内面、情操は、本来教育機関、公的機関ではなく家庭、家族で学ばれるべきものである。

 故に、大学が対象とすべきは、前者の「知識、知的能力」の獲得によって、諸分野の真理を「一般教養」として身につけ、「知識の体系化」を完成させることである。

(ヨハネ研究の森 第13期生 日高)

 
posted by ヨハネ研究の森 at 15:10 | 教育学

J.S.ミル『大学教育について』 要約(1) 大学教育の目的

要約(1) 大学教育の目的

 大学で行われる教育に対しては、個人の教育観に則り諸々の意見が述べられる。
 だが、そもそも「教育」とは何を表すのであろうか。「教育」という概念は、その含有範囲の違いから、狭義の教育と広義の教育に大別される。

 広義の教育は、理想とされる人格の完成を目的とする個人の努力の援助全てとして示される。

 この「教育」は、人格の完成という大目的に対するあらゆる手段が内包され、個人間での特定の知識伝達を目的とした学習に限定されず、社会制度や生活様式、自然環境など、個人が外的要因から及ぼされる影響すべてが当てはまる。
 そして、直接的、間接的にかかわらず、人格の形成に対して影響を与える全ては広義の教育として認識される。

 対して、狭義の教育とは、人間社会の進歩の段階を維持、向上させるために教養が伝達されることを表す。

 各世代の個人間が社会進歩を担う後継者育成のため、広く教養を学習させる、受け継がせることがこの教育の目的とされる。
 大学を筆頭とする教育機関で「教育」の問題として関心の対象とされるのは、この直接的な教育のことである。

 大学を含む学校教育は、直接的な学習を通じての教養の習得を目的とする。その目的に基づき、大学では文学教育や科学教育などの学問分野が学ばれる。

 しかし、いわゆる職業教育、職業訓練の実施は、教養の習得を目的とする本来の大学教育のあり方として適切なものではない。
 大学は、専門的な職に就くための技術、知識を得るための教育機関ではなく、狭義の教育を実施する機関として、有能で教養ある人間を育成することを目的とする。

 専門的な職業人としての教育以前の、根本としての人間性の涵養、教養人の育成を行うのが大学である。故に、技術的、専門的知識の習得のみを求める職業教育は、大学教育以後に行われるべきだと考えられる。

 では、大学教育が理想とする教養人を育成するために、大学では何が学ばれるべきであろうか。

 教養ある人間の形成に必要と考えられるのは、「一般教養」の教育である。
 ここでいう一般教養とは、常識や基礎知識といったことではなく「知識の体系化」を表す。個々に独立している部分的な知識間の関係を理解し、「知識の全領域の地図」を作り上げることこそが「知識の体系化」であり、大学教育の役割だとされる。

 つまり、大学教育とは知識の専門性を教え込む空間ではなく、それらの知識を成立させている「学問」の構造を理解することが最大の目的である。

 ともすれば、大学とは専門的知識獲得の場であるように錯覚されがちであるが、本来の大学教育とは、専門的な諸分野への分岐の前段階としての学問の構造を学ぶべきものなのである。

(ヨハネ研究の森 第13期生 日高)

 
posted by ヨハネ研究の森 at 15:00 | 教育学