2017年06月03日

E・F・シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』  要約(3) スモール・イズ・ビューティフル

要約(3) スモール・イズ・ビューティフル

 現代社会は、成長主義的、大規模主義的思想によって発展を続けてきた。
 しかし、無限の成長を前提としているはずの現代社会は、その主張を有限の資本、一次エネルギーに依存しているという点で大きな矛盾を内包している。

 産業社会の唯一の尺度として機能してきた経済学は、利益追求の効率性のみを発展の手法として捉えていたため、それ以外の環境や倫理といった非経済的価値を対象とせず、社会構造として人間性を乖離させることに無意識ながら寄与してきた。

 人類の今後を考える上で、持続可能な社会構造への転換が必須であることは明らかだが、現代社会が基盤としてきた成長主義、発展主義からの脱却は容易ではない。

 だが、こういったものに対する盲目的信仰から脱し、アンチテーゼとしての「スモール・イズ・ビューティフル(小さきことは美しきかな)」的思想が肯定されない限り、真に人類に幸福をもたらす持続可能な社会の実現は難しいであろう。

(ヨハネ研究の森 第13期生 日高)

 
posted by ヨハネ研究の森 at 09:30 | 経済学

E・F・シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』  要約(2) 現代文明社会の思想的転換とその方策

要約(2) 現代文明社会の思想的転換とその方策

 このような文明社会の構造的問題に対しては、その根本たる成長主義的かつ利益追求至上主義的思想の転換が必要である。
 その点において、近現代の経済学は、本質的に人間性と接近することを拒否し、有限の資本を無限と偽ることで無限の成長という幻想を肯定してきた。

 故に、破綻に向かわざるを得ない文明社会の構造転換には、それを肯定する思想的転換、端的には価値の尺度となる経済学の変革が求められる。
 その一例として考えられるものが、近現代経済学に代わる「仏教経済学」である。

 「仏教経済学」とは、大量消費によって維持、拡大され、最大資本で最大の幸福を得ようとする現代資本主義的経済学と対比される存在として、一定の目的を最小の資本消費で達成することを目的とする経済学的概念である。

 この概念は、仏教思想としての「足るを知る」が土台とされ、盲目的な自己利益の追求は肯定されない。
 「仏教経済学」においては、これまでの経済学では対象とされなかった非経済的価値についても対象とすることで、持続可能かつ人間的な文明社会の構造的改革が行われる。

 だが、そのような思想的転換は容易なものではない。現代文明社会において、近現代経済学的成長主義、大規模主義的傾向は、支配的かつ絶対的なものである。

 その社会において、人はその空間で普遍のものとされていた「大」思想、つまりこれまで触れてきた進化論思想や科学実証主義思想などをあらゆる前提として扱ってきた、または扱うよう教育されてきた。

 故に、文明社会の恩恵に浴してきた人々は、無意識にこの観念を前提として思考し判断している。そのため、現代文明社会のあり方や経過に疑念が抱かれ得なかったのである。

 したがって、文明社会の構造の転換には、こういった観念からの脱却が必要とされる。そのために有効なものが「教育」である。

 ここでいう「教育」とは、知識の植え付けではなく、あらゆる学問の根本、中心を認識する、具体的には形而上学と倫理学を学ぶことで、「全人」を作り出すという行為である。

 「全人」は、植え付けられた観念から価値を判断するだけでなく、価値を判断する主体に対して考察することができる。
 教育によって、これまで支配的であった価値観に思慮が加えられることになるであろう。

 ここまで示したように、社会構造の変革にはそれを司る価値観の転換が必須である。
 そのうえで、具体的な方策として持続可能な構造への転換を例示するならば、「中間技術」が相当するであろう。

 「中間技術」とは、最先端の科学技術のみを歓迎するのではなく、人間の生活を補助し向上させる程度の適度な技術のことである。

 現代社会の過度な機械化は、人間と仕事、生産の関係を対立的なものとし、人間性の欠如を推進してきた。
 人間性から乖離しない範囲での「中間技術」は、一方的発展を志向する現代文明において顧みられることがなかったものであるが、人間が本来必要とし幸福を得る技術とは先端技術ではなく「中間技術」であるだろう。

 この「中間技術」は、特に格差是正において効果を発揮する。
 資本主義経済によって、先進国と発展途上国の格差は大きく広がったが、その解決策として先進科学による技術革新を掲げる例は多い。しかし、本来人間の生活を人間性の範疇で向上させるのは「中間技術」である。

 発展主義的思想に基づく先端技術のみを偏重するのではなく、本質的な人間性に沿った技術こそを活用することが、持続可能な社会とその基盤となる思想の転換の一端となるであろう。

(ヨハネ研究の森 第13期生 日高)

 
posted by ヨハネ研究の森 at 09:00 | 経済学

E・F・シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』  要約(1) 現代産業社会の思想と問題

要約(1) 現代産業社会の思想と問題

 現代文明は、近年急速に発展を続けている。産業革命以降、科学技術の発展の功績は社会全体へと波及し、それ以前とは比較にならない拡大をもたらした。
 工業化によって、先進諸国にすむ人の生活水準は格段に向上し、人々は快適かつ幸福な生活を送ることが可能になったといわれている。

 そのような現代産業社会においては、絶え間ない成長、拡大こそが唯一の解として扱われる。文明は常に、より良い社会、生活への進歩が求められるために、現代社会は無限の発展と拡大を前提の思想として成立する。

 アダム・スミスに端を発す近現代経済学は、このような進化論的思想に経済学的後ろ盾を与えた。
 利益追求の効率性のみを絶対的な尺度とする経済学は、文明社会の成長主義、大規模主義を肯定する。その過程で、経済学は利益追求という尺度に当てはまらない非経済的価値を捨象した。

 それ故、環境や倫理といった本来的に人間と密接に関わる存在が放棄され、文明社会、経済学における人間性の欠如が加速していく。
 その象徴的存在が、国境を越え倫理的障壁から解き放たれた多国籍企業であろう。利益至上主義的経済学による盲目的な成長の肯定は、現代文明社会の絶対的価値規範となったのである。

 その前提の上で、近年の多くの経済学者は、そのような成長主義的、物質主義的思想に基づく文明社会の継続的発展傾向の永久性、すなわち「生産の問題」の解決は達成されたと考えている。

 「生産の問題」の解決とは、現代文明社会において、物質社会の根本たる「生産」を妨げる障壁は全て克服できるものであるとし、半永久的な拡大が可能な状態にあるということである。
 つまり、現代文明が、生産と消費の関係としては既に完成形に達し、進化論的な無限の発達が行われていくであろうということでもあるだろう。

 しかし、果たして「生産の問題」は本当に解決されているのであろうか。半永久的な成長には、そのための資本も同時に半永久的なものでなければならない。だが、文明社会の維持、拡大のための産業は、ほとんどが有限な資本に立脚している。

 とりわけ、文明社会を維持するために必要不可欠な存在であるエネルギーの消費量は大幅に増大し、その有限性が指摘されて久しい。
 エネルギーの持続不可能性は、石炭に代わる石油、石油に代わる原子力というように、科学技術の継続的発展によって解決され続けるとされるが、有限な資源を使い続けることによってのみ文明社会が維持され発展し得るという構図には何ら変化がない。
 現代社会には、有限な資源を土台として無限の発展を求めるという構造的欠陥があると言わざるを得ないであろう。
 
 すなわち、現代文明社会は、利益追求を唯一の尺度とする経済学に依拠し、経済学において顧みられることのない非経済的価値、例えば環境や倫理といったものを捨象することで発展を遂げた。
 しかし、経済学的思想によって肯定されているはずの現代社会は、現実には有限なエネルギーを消費し続ける持続不可能な状態にある。

 それ故、人間性の欠如した成長幻想の代償は、文明社会が消費し続けてきた資本、つまり一次エネルギーとしての資源の枯渇として表面化するであろう。この構造的問題に早急に対処することが求められる。 

(ヨハネ研究の森 第13期生 日高)

 
posted by ヨハネ研究の森 at 08:00 | 経済学