現在、多くの伝統的な経済学理論によれば、人間は、少なくとも経済活動においては、自己利益の追求以外に行動の動機を持っていない。しがたって、経済学は、社会的アイデンティティが果たす役割を極めて低く扱う学問であった。
社会的アイデンティティとは、ある特定の集団への帰属意識といった社会的共同体(家族、地域、民族、国家など)の一員であることから生まれる、共同性の意識のことである。
人は誰しも社会に生きているかぎり、慣れ親しんだ文化や習慣が、その思考構造や感受性の様式に強い影響を与え、私たちが生きていくために必要な美意識や価値観、倫理観を形成していく基盤となる。
いわば、人は、社会から切り離された個人ではなく、なんらかの社会的集団・共同体との関わりの中で自己を形成し、価値観や行動様式を身につけながら生きている、とした概念である。
ただし、私たちは常にこうした社会的アイデンティティだけを拠り所としているわけではないことを先に明記しておく。私たちは、社会に影響されながらも「個としてのアイデンティティ」を有しているからだ。
私たちは、自分が生まれ育った社会の価値観や慣習に対して疑いを抱き、その意義を問い直したりすることもあれば、一切の社会関係や共同体から自分を断ち切りたい衝動に駆られることもある。
したがって、私たちは、社会的アイデンティティに影響されながらも、結局のところ個としてのアイデンティティによって自己を形成する側面も大きい。
だが、経済学では、上記の事実をモデルに当てはめない。それゆえ、自己利益以外にも責任に信頼、社会規範の遵守といった倫理的な価値観が、経済活動において重要な行動要因を担っていることを強調しなければならない。
(ヨハネ研究の森 第9期生 蓮生)